紀伊半島の環境保と地域持続性ネットワーク 紀伊・環境保全&持続性研究所(三重県津市)
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 <紀伊半島の巨木を訪ねる>

 奈良県宇陀市菟田野区佐倉 桜実神社の八ツ房のスギ

 奈良県宇陀市菟田野(うたの)区佐倉にある桜実神社に、国の天然記念物の「八ツ房の杉」が生育している。桜実神社は、国道166号線で佐倉峠を越えて菟田野に入り、狭いながらも両側が平坦地になった道を少し走り、小径を左折すると小高い丘の上にある。

 ここに来てはじめて、八ツ房のスギが、磐余彦尊(いわれひこのみこと)(神武天皇)が手植えしたものであるという伝承があり、桜実神社が神武天皇を祭った神社であることが分かった。

 磐余彦尊の東征軍が、熊野を発って、紀伊半島の深い山岳地帯を抜け、吉野川の岸辺を上流に向かって進み、大和盆地の南の後背地である菟田(宇陀)の地で、大和攻略の戦いを始めたと古事記に書かれている。桜実神社の近くの丘陵には、東征軍が休息したとされる高城(たかぎ)があり、その時に磐余彦尊が詠んだうたが古事記にある。最近出版された八木荘司著「古代からの伝書 日本建国」を読むと、磐余彦尊が菟田に到達し、戦いに勝利した後に、大和盆地の南部の磐余(現在の櫻井市)の地で即位したが、その年代は2世紀後半であろうと推定されている。もし、八ツ房のスギの伝承と、八木の推定が正しいならば、八ツ房のスギの樹齢は1800年余ということになる。

 八ツ房のスギは、名前の通りに、8本の幹がにょきにょきと様々な方向に伸びている。あるものは上に伸び、あるものは地を這って伸び、あるものは既に朽ち果てている。また、ある幹から出た枝が別の幹に癒着しているのも見られる。八ツ房のスギの株元は苔むして大きな塊になっている。地下部を含め1つの大きな塊から様々な方向に幹を伸ばした巨木の佇まいを見ると、八ツ房のスギを通して遠い古代に想いをはせることが出来る。

 桜実神社の社は、鮮やかな朱色に塗られ、八ツ房のスギの緑と鮮やかなコントラストをなしている。社の傍らに、八ツ房のスギが昭和7年に国の天然記念物に指定されたことを示す石碑が建てられている。

 桜実神社から、目を周辺の景色に転じると、菟田野の狭隘ではあるが、のどかな田園と低い山々が見える。はるかな古(いにしえ)に、日本の原型を形造った磐余彦尊の大和攻略の足跡とロマンが感じられる風景である。
 
(写真をクリックすると拡大します)
奈良県宇陀市菟田野の八ツ房の杉
八ツ房のスギを社の脇から見上げる。途中で朽ちた幹、横に這った幹も入れると8本の幹が出ているように見える。
宇陀市桜実神社の八ツ房の杉
八ツ房のスギを反対側から見る。左手に地面を這って伸びる幹が見える。 
桜実神社の八ツ房の杉の幹
上に伸びたスギの幹。別の幹の枝が隣の幹に癒着しているのが見える。
桜実神社の八ツ房の杉の苔むした根元
幹の株元は苔むしている。幹の樹皮が剥げ落ちて、老木であることを示している。 
桜実神社と背後の八ツ房の杉
桜実神社とその背後に鬱蒼としげる八ツ房のスギを見る。
桜実神社から周辺の風景を見る。丘陵地帯の間の狭い田で代かきが始まっていた。

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